「ちょいちょい、にいちゃん、なんちゅう辛気(しんき)くさい顔しとるんや? まぁ、ここ座って一杯飲みぃや! 桜の木の下で酒あおったら、気持ちも晴れるでぇ」
声のするほうへ視線を向けると、コテコテの関西弁でまくし立てる酔っ払いのおっちゃん。もともと、どこ行くアテもない。だから断る理由も特にない。
――桜の木の下でって、もうすっかり枯れちゃってるじゃん。期待したってぼくにはもう能力はないよ。それでもいいのか?
「ほんでほんで? どしたん? ワシが話、聞いたろ。まぁ、ゆっくりしていきぃや」
当時、魔法国では戦争が絶えなかった。優秀な魔法使いは老若男女問わず、次から次へと戦地へ送り込まれ、二度とその姿を目にすることはなかった。
そんななか、ぼくはと言えば――
「おい! ロペ! なにかまともな魔法は使えないのかよ!」
「そうよロペちゃん。あんたの魔法でわたしたちを守ってよ!」
攻撃魔法による烈火の刃から身を隠すように、ぼくたちは突貫工事でつくりあげた地下壕へと逃げ込んだ。充分な設備もないままつくった壕には、まともな明かりさえなかった。暗がりで怯え、むせび泣く子どもたち。
ぼくは非難を覚悟で、手にした魔法の杖を振った。すると目の前に、一本の桜の木が姿を現した。
暗がりの中で仄白く光る花びら。壕内は目一杯にひろがる花びらたちのおかげで、ほんのり明るくなった。
「ロペに頼ったのが間違いだったよ。もういい。お前はおとなしくしていろ……」
どこからか消沈した声が聞こえた。
終わりの見えない不毛な戦争に嫌気がさしたぼくは、偶然知り合った亡命グループと意気投合。彼らと行動をともにし、幾多の困難を乗り越えた末、この日本へとたどり着いた。
「ねぇ、きみ。我が社で働かないか?」
陽が落ちたあとの公園。ブルーシートの上でくつろぎ、歓談に花を咲かせる花見客。彼らのために杖を振っていたところ、ふいに肩を叩かれた。
「きみのその力を、我が社で活かして欲しいんだ。もちろん、報酬ははずむよ!」
ぼくはD社に雇われることとなった。
D社での仕事は実に楽しいものだった。夜桜を求める人たちのために、魔法の力をつかって満開の桜の木を出現させる。突如として目の前に現れるイリュージョンのような花あかりに、花見客たちも大いに盛り上り、そして喜んだ。
祖国にいた頃とは比べ物にならないほどのお金も得ることができた。魔力の研究のために検査を受けたり、実験に付き合わされたりするのは億劫だったが、ぼくが唯一つかえるこの魔法で、みんなに笑顔をプレゼントできることに誇りを感じていた。
そんなある日だった。
「ヤツはもうじき使い物にならなくなるだろう。まぁ、適当に切り捨てておけ」
「承知しました」
会議室からそんな会話が漏れ聞こえてきた。
自分でも気づいていた。そのうち用済みの烙印を押されてしまうことを。多用し過ぎたせいか、ぼくの魔力は既に限界を迎えており、その効力を失いつつあった。
人の集まる公園ではなく、ひとけのない公園でひとり、杖を振り続ける日々。これまで無意識に使えていた魔法が、意識しても使えなくなってしまった。
どうにか桜の木を出現させられたとしても、まだ蕾のままの木だったり、幹と枝だけの木だったり……桜を咲かせられないぼくにはもはや存在価値はない。祖国にいた頃と同じように、必要とされない人間に成り下がってしまう。
そしてぼくは絶句した。杖を振っても、とうとう何も起きなくなってしまったからだ。
「いままでよく尽くしてくれた。きみほど優秀な人材なら、どこに行っても活躍できるだろう。健闘を祈っているよ」
上司からはあっけなく首を告げられた。
月明かりが眩しい今夜、行くあてのないままぼくは、頼りない足取りで町はずれをさまよっていた。
「ほぅ? にいちゃん、災難な人生やな」
「はい……」
「実はなぁ、ワシも魔法、使えるねんで」
「え!?」
「あたりまえやん! ただの酔っ払いとちがうで!」
おっちゃんは缶チューハイを片手に、ニカッと笑ってみせた。すっかり花を落とし切った桜の木の下。月の光だけが、おっちゃんの歯を照らしていた。
「ええか、にいちゃん。目を閉じてみぃ? おっちゃんが合図するまで目ぇ開けたらアカンで。ほんでな、頭の中に満開の桜を思い浮かべるんや。にいちゃんの沈んだ気持ちも晴らしてくれるような、眩しいくらいの花あかりをやで。ええか?」
この日本で、魔法使いに出会えるなんて思ってもみなかった――喉を鳴らし唾を飲み込むと、ぼくは深くうなずいた。
かたく目を閉じる。そして脳内に描く。堂々と、それでいて可憐にその花を広げる、満開の桜を。
どんどんと映像が鮮明になり、描画される情景が桜で埋め尽くされた。眩いほどの花びらがぼくを包み込み、周囲には儚げな花びらがひらひらと待っている。映像に没入していると、隣からおっちゃんの声が聞こえた。
「まだやで。まだやで! まで目ぇ閉じときや! おっちゃんの魔法はなぁ、花が散ってしまった桜の木を、もういちど満開に咲かせる魔法や! ほな、行くで! 心の準備はええかぁ? カウントダウンするで! スリー、ツー、ワン」
みなぎる緊張感。全身にありったけの力を込める。まるで生きる望みを体中に注ぎ込むように。
「よっしゃあ! 目ぇあけてみぃ!!」
憤りや虚しさ。悔しさや悲しさ。やるせなさや不甲斐なさ。混濁した感情を一直線に解き放つように、思いっきり目を見ひらいた。
「わぁ!」
思わず声が漏れた。
ん?
あれ?
もしかして……なにも変わってない?
力強くまぶたを閉じ続けたことで、網膜が刺激を受け、目の前がチカチカして見えているだけでは……?
「どや?」
「ど、どうって?」
「心の中にきれいな桜の花、咲かせられたやろ?」
――まぁ、たしかに。
「桜っちゅうのは、ワシらが待ってくれと願ったとて、あっという間に散ってしまう。その美しさはすぐに過ぎ去ってしまうんや。そやから、桜に頼ってたら、けっきょく虚しくなってしまうやろ? そうならんようにな、心の中に桜の花を咲かせられるようになっておけ。散りそうになったら、また自分で満開にしたらええねん。ええか? さっき見た花あかりを忘れたらあかんでぇ」
またしてもニカッと笑うおっちゃん。月明かりはさっきよりもわざとらしく、おっちゃんの歯を照らしていた。
ふと見上げると、散り忘れた桜の花びらがひとひら。ひらひらと舞い降りてきて、いま目の前で、おっちゃんの鼻の頭にうえに。