そうだ、ゲロバム行こう

「ゲロバム、知ってるだろ?」
 友人の楠田がふいに尋ねてきた。
「ゲロバム?」
「えっ、お前、もしかして知らないの?!」
 幼馴染の楠田はいつも男の一歩先を行く。学力にしても、スポーツにしても、恋愛もそうだった。仕事も出世も、何もかも負けている。劣等感を抱く相手に、知識マウントなど取らせまい。
 男は飄々と答えた。
「もちろん、知ってるさ」
「だよな。お前ともあろう者が知らないわけないよな。で、行ったことあるの?」
「あるよ」
「どうだった?」
 知ったかぶりをしてみたものの、ゲロバムがなんなのか、皆目見当がつかない。行ったことがあるか尋ねられているということは、きっとどこか場所の名前なんだろう。ボロが出やしないかとヒヤヒヤしながら、手探りで会話をつなぐ。
「まぁ、いいところなんじゃない?」
「やっぱりそう思うよな」と楠田。「かわいい子も多いしな」
 かわいい子? もしやゲロバムってところは、キャバクラかスナックか? 楠田の声色から察するに、きっと夜の店に決まってる。よし、少しだけ大胆にいってみよう。
「俺好みの子も多いからな。今、女優の小山美咲似の子に入れ込んでてねぇ」
 でっち上げた作り話のはずなのに、楠田は真顔で相槌を打ってくる。
「店の雰囲気もお前向きって感じだもんな」楠田は言う。
「店の雰囲気? あぁ、あのゴージャスな感じ、嫌いじゃないね」
「あんな店、他にはないよな」
 おっ、どうやら会話が成立してるぞ。このまま知ったかぶりで乗り切ってしまえ。
「まぁ、安くはないけどなぁ。だよな? だよな?」
「そりゃ、あのレベルの店だからな。ケチって遊べるわけがない」
「ほんと、財布が悲鳴をあげるぜ」
「同感」
「そういや、会計をぼったくられたことがあってさぁ。それはそれは悲惨だったよ。あの日からゲロバムには顔を出してないね」
「ぼったくり?」
「そうさ。まぁ、事の顛末を聞いてくれよ――」
 見事なばかりに知ったかぶりが通用したことに気を良くした男は、ベラベラと調子に乗って架空のエピソードを語りはじめた。

「そうだ、ゲロバム行かない?」
「え?」
「お前、行ったことあるって言ってたよな?」と楠田。
「あぁ」と男は焦って頷く。
 ある週末の夜。楠田がそう提案してきたのは、一軒目の店を出たときだった。
「ぼったくりに遭った店には行きたくないか?」
「どうかなぁ……まぁ、久しぶりだし、顔を出してみるか」
 楠田は男の返事を聞くと、迷わず歩き出した。やはりゲロバムという店は実在するらしい。もちろん、行ったこともなければ、聞いたことすらない店だ。
 繁華街から少し外れた住宅街。閑静な街並みとは不釣り合いなネオンをギラつかせる店がそこにはあった。浮かれた様子の楠田を先頭に、店に入る。するとそこには、男が適当に思い描いた店内のイメージ通り。男心をくすぐるゴージャスな空間が広がっていた。
「いらっしゃい。あれ、楠田さんと西出さんって、お知り合いだったの?」女性キャストが出迎えついでに声をかけてきた。
「あぁ、西出は俺の幼馴染なんだ」ニヤニヤしながら楠田が応じる。
「西出さんも、お久しぶり!」
「あっ、どうも……」
――どういうことだ? なぜ、俺の名前を知ってるんだ? お久しぶり? 俺はこんな店、来たことないぞ?
 まるで初めて夜の店に足を踏み入れた若者のようにソワソワする男。そんな男の様子を気にすることなく、ボーイが二人をソファー席へと案内した。
「来てくれてありがとう!」
 ひとりの女が席についた。男と肌を合わせるように寄り添う女。視線を向けると、そこには小山美咲似の女の笑みがあった。
――うそだろ?!
 楠田に恥をかかされまいと、知ったかぶりで応戦したあの日のことを思い出す。あの時、脳内でイメージした女がすぐ目の前にいる。これは夢か幻か――思わず女を二度見する男。
「どうしたの?」
「あっ、いやぁ、別に」

 狐につままれた気分は、その後も続いた。男の知ったかぶりに合致する点が、あまりにも多かったからだ。
 小気味良いテンポの店内BGM、グラスの下に敷くコースターの模様、薄暗く小ぶりなトイレ、そして庶民じゃ気軽に遊べない料金体系。何もかもが想像したものと一致していた。
――もしかして、知ったかぶりが再現されているのか?
 明日の朝が早いからと、先に店を出た楠田。友人を見送った男は、その後も美人キャストの接客に気を良くしながら、時間を忘れて飲み続けた。知ったかぶりのことなど忘れ去ったまま。
 陽気に酔っ払う男に、若いボーイがすり寄ってきた。
「そろそろ閉店のお時間となります。こちら、お会計でございます」
「ん? お会計?」
 ボーイの言葉で我に返る男。それと同時に全身から大量の汗が吹き出した。
――知ったかぶりが再現……もしかして?
 手渡された伝票を凝視する。それは、目を疑うほど高い請求金額が書かれた伝票だった。
「ぼったくりだ……」思わず声に出す男。
「もしかして、払えないんスか?」
 眼光を尖らせたボーイが詰め寄る。もはやその声色にはサービス精神の欠片もなかった。
 萎縮する男に痺れを切らしたのだろう。舌打ちしたボーイが店の奥に視線を送った。すると奥からは、見るからに凶暴で屈強な男が二人、姿を現した。
 完全に酔いが醒めた男は、悲鳴をあげながら立ち上がと、制止するボーイを振り切り、仁王立ちする悪漢の間をすり抜けた。捕まるわけにはいかない。だって、楠田に語ったエピソードの結末は――
 女性従業員たちの金切り声をよそに、店を飛び出した男は、一心不乱に逃げ続けた。背後から迫る男たちの怒声を耳にしながら。

 見知らぬ住宅街の路地を這う。走り続けたことで心拍数が上がり、満足に息もできない。呼吸を整えるために立ち止まったとき、ポケットに入れたスマートフォンが着信を告げた。それは楠田からの電話だった。
「おい楠田! 大変なんだ! 助けてくれよ! ゲロバムでぼったくりに遭っちまって。なぁ、来てくれよ――」
「そんなことよりさぁ。お前、ゲノムサクって知ってる?」
――呑気に何を言ってやがる。俺がどんな状況かわかってるのか!
 恐怖と怒りで発狂しそうになった男は、あることに気づき、冷静さを取り戻した。ここで知ったかぶりをすれば、それが再現されるんじゃないのか?
 男は勝ち誇ったように答えた。
「ゲノムサク? もちろん知ってるよ。悪者から匿(かくま)ってくれるシェルターだろ。そこに逃げ込めばどんな悪党も手が出せず諦めちまう。まるで教会みたいな場所だよな」
 逃げ惑う者の窮地を救ってくれる神聖な場所をイメージしてみた。よし、これで救われる!
 すると、受話口から楠田の呆れ返った声が聞こえた。
「ゲノムサクなんて場所、あるわけないだろ。お前のその、必要以上に自分を大きく見せる性格、どうにかしろよな。どうせ俺には勝てないんだから」
 一方的に電話は切られた。
 縋(すが)る藁を失った男の視線の先には、無情にも行き止まりが待っていた。どうやら袋小路に迷い込んでしまっていたようだ。男は後ろを振り返る。
 眼前には血相を変えた悪漢の太い腕が迫り、瞬く間にその拳が男の視界を埋め尽くした。

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