「残念ながらこの点数じゃ、卒業させることはできないなぁ」
大きくバツと書かれた答案用紙を教官から突き返され、俺は思わず舌打ちした。
ロクに勉強なんてしてこなかった人生。どうせ試験になんて受かるはずがないと思ってはいたけど――それにしてもこのワケのわからない問題はいったい何だ……。
試験といえば、数学や国語や英語などの一般教科から出題されるんじゃないのか?
「しっかりと勉強して出直してきなさい。それまで卒業はおあずけだ」
教官は厳しく言い放つと、試験会場から姿を消した。
あれから半年近く経つが、相変わらず卒業を迎えられない日々が続く。
ただ、試験勉強を続けるうちに、自分の中で何かが変わっていくことに気づいた。これまでの生き方を悔いてみたり、まっさらな自分に生まれ変わりたいと望んでみたり。未熟だった自分を見つめ直し、殻を破ろうともがいている自分がそこにいた。
「まだまだ合格点はやれないが、確実に成長してるじゃないか。努力は惜しむなよ」
「はい!」
厳しくも心優しい教官。こんな俺のことを見捨てようとはせず、いつだって背中を押してくれた。どこの誰がくれたチャンスか知らないが、自分を変えるきっかけを与えてもらえたことに感謝している。
絶対に卒業してやる。
意気込みながら、まだ見ぬ明日に期待を膨らませ、俺は試験会場をあとにした。
「ウチの子は、まだラクにならないんでしょうか? 快復する見込みがないのに、こうややって苦しみ続けている。もういっそのこと――」
病室のベッドに横たわり、低く唸り続ける青年。憐れむ目でそれを眺める彼の母親。前進も後退もしない息子の容態に耐えきれず、母親は医師に詰め寄った。
「どうやら彼は、まだ卒業できずに苦心しているようですね」
「卒業?」
「えぇ。人間は死を迎える際、卒業試験を受けるのです。それに見事パスした者だけが、晴れて天国へと逝ける。それが天国逝きのルールなのです」
「そんな……ウチの子が天国に逝くだなんて――」母親は大きくかぶりを振った。
「なんとおっしゃった?」
「いや、ウチの子は幼い頃から素行が悪くて、人様に迷惑かけてばかり。事件を起こして少年院にも入っておりましたわ。家族に暴力をふるうなんて日常茶飯事。今回の事故だって自業自得の末路。いっそあの世にでも逝ってくれたら――と、主人とも話していたのです」
「あの世と言いますと?」
「もちろん、地獄ですわ。地獄で性根を叩き直してもらえばいいのにって」
医師は慌ててカルテを再確認した。
「あっ、これはこれは失礼しました」
遺族が申告する故人の死後の逝き先。カルテの中では、天国と地獄の二択のうち、地獄に丸印がつけられていた。
「地獄逝きを希望されていらっしゃったのですね」
「はい。親がこんなことを言うのもおかしな話かもしれませんが、たいそう憎まれていた子でしたから。周囲の者からも、社会からも。この子の地獄逝きに反対する者はいないはずです」
「そうでしたか。こちらの手違いで、天国逝きの手続きをしてしまっていたようです。では、すぐに変更しますね」
医師はポケットから小型デバイスを取り出し、指でなぞった。
医師がデバイスから指を離した数秒後、病室に機械音が鳴り響いた。母親と医師は同時に心電図モニターに目をやる。そこにはフラットな直線が描かれていた。
医師が死亡確認を行い、小さく頷いた。
「えっ? もうウチの子は?」
「晴れて卒業です。地獄逝きなら受験を受ける必要などありません。簡単な面接をするだけですから」
「天国と地獄じゃ、そんなに違うのですね」
「当然です。我々人間は、この世で生きているうちに、すでに地獄逝きの資格は取得できているのでね。皮肉な話ですが」
母親は帰り支度をしながら、「この世で犯した罪の数々を、地獄で償ってくれればいいけど」と、ため息交じりにこぼした。
「とは言え、誰にだって変われるきっかけはあるものです。善と悪は表裏一体ですからね」
「あの子に限って、そんなことはないはずです」母親は一礼し、病室をあとにした。
医師は亡き青年の浮かぬ表情を見るや、再び小型デバイスを取り出した。
「後悔を残したままの卒業じゃ辛いだろう」
青年に声をかけると、地獄逝きをキャンセルし、天国逝きへと変更した。そして、白衣の袖をまくり上げ、心肺蘇生を試みた。
心電図のモニターに、再び波形が蘇る。
異変に気づいた看護師たちが病室に駆け寄り、医師に声をかけた。
「どうなさいました?」
「ちょっとしたおせっかいだよ」
看護師たちは目を丸くする。
「死後に天国へ逝けるよう、現世ではできるだけ世のため人のため――事前に加点ポイントを稼いでおきたいのでね」