ある国の姫は、隣国の王子と交際していた。が、ちょっとしたスレ違いが重なり、その恋は破局を迎えた。
その日から姫は、ぱったりと眠ることができなくなってしまった。もう何か月も、おやすみを言っていない。まるで、恋と同時におやすみを奪われた気分だった。
夜になると別れた彼のことを想ってしまう。すると、どんどん目が冴えてしまい、あてもなく、ただ月を眺めるばかりだった。
眠っている間に人は、その心にも体にも、潤いや癒やしを吸収しているのだろうか。それとも、起きている間にそれらは老いていくのだろうか。あれほどまでに美しかった姫は、どんどんとやつれ、老け込んでいった。
いつか王子と復縁できるかもしれない。その日がやってくるまで、美しさを保たなければ。美貌の衰えを危惧した姫は、不眠を解消してくれる猛者(もさ)を募った。
姫の切なる願いを叶えるため、多額の報酬が用意された。そして、一攫千金を手にしようと、多くの者が名乗り出た。
最初の挑戦者は、この国きっての美男子。姫に添い寝し、眠りにつくまで甘い時間を過ごしてくれるらしい。
その夜、姫はいつものようにベッドに横たわった。柔らかい月の明かりを浴びながらも、その目は冴えきっていた。
「姫、おやすみの時間です」
ぴたりと体をくっつけ、うっとりするほどの美男子が姫に添い寝する。甘い愛の言葉をささやきながら、姫を眠らせようとした。
しかし、姫はそのささやきを耳にしながら、王子との泡沫(うたかた)の日々を思い出す。気づけばその大きな瞳からは、涙がこぼれていた。
か弱い声を漏らしながらすすり泣く姫。男は焦りながらも優しく愛撫し続けた。が、無情にも朝日が顔を見せはじめた。
執事が寝室の前に立ち、中の様子に耳を澄ませる。どうやら姫は眠れなかったようだ。
執事はドアを開けながら、「残念ですが、お帰りください」と、弱りきった美男子に告げた。
次に現れたのは、この国きっての女性歌手。
女はこう考えた。幼い頃の姫は、母親である王妃から子守唄を歌ってもらっていたに違いない。眠るときに聴いていた子守唄を、澄んだ美声で聴かせれば、さすがの姫だって眠りにつけるはずだと。
女は、自慢の美声を披露した。
姫の寝室はオルゴールの粒のような歌声に包まれていった。誰が聴いても心が洗われるだろう歌声。それでも姫は眠れなかった。
女の美声を遮るようにニワトリたちが鳴きはじめ、またもや朝日が顔を覗かせた。
それから何人もの挑戦者が姫に挑んだが、誰ひとりとして、姫におやすみを言わせられる者はいなかった。
諦めのムードが漂いはじめたある日、ひとりの老婆が名乗りを上げた。
「わたしが眠らせてあげよう」
まるで魔女のような風貌。これまでの挑戦者とは明らかに漂うオーラが違っていた。素性さえも明かさないその怪しさが、逆に姫の期待を高ぶらせた。
「どんな方法で眠らせてくれるのです?」
「簡単なことさ。姫がおやすみ(・・・・)を取り戻すかわりに、あるものをひとつ奪う。たったそれだけで、姫には安眠が訪れる」
「あるもの? それは?」
「それは言えない。まぁ、安心しな。命までは奪いやしないから」
不敵な笑みを浮かべながら、老婆は姫に小さな薬瓶を手渡した。
「それを飲めば今宵はぐっすりさ」
何を奪われるのだろうと不安になったが、背に腹は代えられない。覚悟を決めた姫は、それを一気に飲み干した。
月に照らされ、仄白く染まる寝室。
その夜、姫はすっかり忘れかけていた眠気というものを感じていた。
「なんだか眠れそう――」
天使のような睡魔に導かれるまま、重くなったまぶたを閉じ、姫は「おやすみなさい」と呟いた。
朝になっても寝室から姿を見せない姫。城の者たちは耳をそばだて、部屋から漏れてくるかすかな姫の寝息を聞いた。
「ついに姫が眠ったぞ!」
安眠する姫をよそに、城の者たちは歓喜に沸いた。が、喜びも束の間、昼になっても夜になっても目を覚まさない姫。城の者たちは異変に気づき、老婆を城に呼び戻した。
「おい! 姫に何をした!」
「眠らせて欲しいっていうもんだから、願いを叶えてあげたのさ」老婆は言う。
「忠告したはずだよ。おやすみを取り戻すかわりに、あるものをひとつ奪うって」
「あるもの? 姫から何を奪ったんだ!?」
「ふふふ。そんなに知りたいのかい。それは、おはよう(・・・・)、だよ」
「ふざけるな! じゃあ、姫は二度と目覚めないとでもいうのか?!」
「まぁ、そうカリカリなさんな」呆れたように老女がなだめる。
「なんてことはない。隣国の王子が優しく口づけすれば、姫が目覚めるように仕込んでおいたのさ」
城の者たちは目を丸くする。
「何をボサッとしてるんだい! 早く隣国に行って、王子を連れてきな!」
老婆はすごい剣幕で怒鳴った。
城の者たちは大慌てで寝室を飛び出し、身支度もせぬまま、隣国に向かい出発した。
「せっかく眠れたんだ。素敵な目覚めが待っているほうがいいだろう?」
「なるほど。そういうことですね」
執事は老婆の粋な計らいに感心しながら、用意してあった報酬を差し出した。
「報酬は結構。依頼主からたっぷりいただくからね」
「依頼主?」
「隣国の王子さんだよ。姫と復縁したいとギャアギャア騒ぐもんだから、わたしがひと役買ってやったのさ」
老婆の言葉に、執事もまたその目を丸くした。
「で、では、姫の不眠も?」
「もちろんさ。妙な果実を食ったとか言ってなかったかい?」
「あっ! そういえば……」
「すべてはわたしの手のひらの中さ」
老婆は執事のそばに歩み寄ると、一枚の名刺を差し出した。
「恋のトラブルがあれば、ぜひご用命を。わたしが何とかして差し上げましょう」
そこには『恋愛演出家』と書かれていた。