雨宿りな男女

 そこは町の外れにある、庇(ひさし)が大きく突き出たスペース。古ぼけた建物の壁から不自然にせり出した庇。前触れなく降り出した雨をしのぐため、ひとりの男が駆け込んだ。
「ふぅ。急に降り出しやがったな」
 服についた雨粒を手で払いながらボヤいた。
 雨宿り。特にやることもない。小刻みにトタンを打つ雨音を耳に、男は時間を持てあましていた。
 ポケットからスマートフォンを取り出し、ニュースのアプリを起動。画面に映し出された活字に目を走らせる。時折、前を通る人の気配が。そのたび、男は敏感に反応した。
 男のほうをチラッと見るや、すぐさま前へと向き直り、足早に駆けていく女性。どこか不服そうな様子の男性。前を素通りする人たちを一瞥しながら、男は苛立ちをつのらせていた。
「隣、いいですか?」
 あくびをしながらストレッチをはじめたその時、女の声が飛び込んできた。慌てて視線を向けると、三十代前半といったところだろうか、これといった特徴のない女がそこに立っていた。
「あっ、どうぞ」
 スペースのど真ん中に陣取っていた男が、少し隅に寄り、女を招き入れる。
「急に降り出しましたねぇ。まったく困ったもんだ」
「ほんと、天気予報ってアテにならないんだから」女が手櫛で髪を整える。
 男は腰に手をやり、体をひねる動作を続けながら、女の全身を食い入るように観察した。まるで値付けでもするように。
 そして、小さく舌打ちをしたかと思うと、「少し雨もマシになってきたみたいだな」と急なひとり言。そのまま軽い会釈だけを残し、男は庇のもとから走り去った。

「隣、いいです?」
 スーツ姿の男が、急場しのぎの雨宿りにやってきた。
「どうぞどうぞ」
 さっきの男が去ったあと、ひとりで小止みを待っていた女が手招いた。
 濡れたスーツを手ではたきながら、庇のなかにもぐりこむ男。その姿を舐めるように熱視する女。
「高級なスーツが濡れちゃってますよ。よかったらハンカチ、お貸ししましょうか?」
「あっ、大丈夫です! お気づかいありがとうございます。それに、高級なスーツでもないし……ただのセール品のやつですよ」
「なぁんだ、そうなんですね。素敵に着こなしていらっしゃるから、てっきり高級なスーツなのかと。お仕事はお近くですか?」
「はい。駅前の文具店で営業をやってます」
「あの駅前の? こじんまりした文具店ですよね?」
「お恥ずかしながら……」
 スーツの男はバツが悪そうに笑ってみせた。
「けっこう稼いでいらっしゃるの?」ぶしつけな女の質問は続く。
「不景気の世の中ですからねぇ。とても自慢できたもんじゃないです……」
「あら、そう。それは残念――不景気のなかでも稼いでる方は大勢いらっしゃるようですけど」
 そう吐き捨てた女が空を仰ぎ見る。
「よかったぁ。小降りになってきたみたい」とひとり言。
 特に男を気にするでもなく、カバンから取り出したハンカチを頭に乗っけると、女は庇のもとから去っていった。

「雨宿りさせてもらってもいいですか?」
 清潔感ただようセミロングの髪が特徴的な女。雨に濡れないよう、肩にかけたバッグをかばいながら、庇のもとに駆け込んできた。
「どうぞ」スーツの男が手招く。
 乱れた息を整えながら、「たまの雨もいいものですね」と、女が言う。
「風情というやつですかね」
「雨が降る前のジメッとした湿気、あるじゃないですか。そのあとにザーッと雨が降って、ひとしきり降って、素知らぬ顔で雨がやむ。雨がやんだあとの少しひんやりした空気が、わたし好きなんです」
「なんだか、わかる気がします」
「わかってくれます? うれしい!」女は声を弾ませた。
 それからふたり、視線の先のアスファルトで跳ねる雨粒を見ながら会話を楽しんだ。
 趣味の話、仕事の話、家族のこと、人生観。赤面してしまうような過去のエピソードまで。ふたりにとってその時間はとても有意義なものだった。
「気があいますね」とスーツの男。
「ほんとに」
「もしよければ、僕とお付き合いしていただけませんか?」
 おどけた様子で会話をしていた男が、急に背筋を伸ばし、女を直視した。その視線を受け止めるように、女もその瞳を潤ませた。
「ぜひ」
 男からの告白に小さく頷いたその時だった。
「カップル成立、おめでとうございます!」
 どこからか甲高い男の声。見ると、小太りの中年の男が、傘をさしてやってきた。
「この度は《マッチングスペース・雨宿り》にようこそ! そして、美男美女のカップル誕生。実におめでたい!」
 突如として現れた男からの盛大な祝福を受け、ふたりは俯き、はにかんだ。
「ぜひ、この日のすばらしき出会いを、人生最後のその日まで育んでくださいな」
 改めてその視線をあわせると、ふたりは大きくうなずいてみせた。
「では、マッチング成立に伴い、成功報酬の六万円を頂戴します」
 男は両方の手のひらを広げ、キャッシュトレイだと言わんばかり、ふたりの前に差し出した。
 スーツの男は内ポケットから財布を取り出すと、中から一万円札を三枚抜き出した。
「では、これで!」
 意気揚々とそれを差し出す。
「え? うそでしょ?」
 女の表情がみるみるうちに曇っていく。
「もしかして……割り勘?」
「あっ、いや、その……」
「そういう方なのね」
 女は目を細め、男を一瞥する。そのまま視線を庇の先に移し、鈍色の空を仰ぎ見た。
「よかった。もうすぐ晴れそう」
 そっけなく呟くと、女は振り返ることもなく、足早に庇のもとから去っていった。

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