「先生……わたしは大丈夫そうでしょうか?」
怯えた様子で男は医師に尋ねた。
「カウンセリングの結果、かなり危険なタイプに該当しました」
「そ、そんなぁ……」
「ご自身でも自覚があるはずですが、あなたは人に流されやすい性格をしていらっしゃる。俗に言う、染まりやすい人間。実に、危険ですねぇ」
肩を落としたまま、男はクリニックをあとにした。すれ違う通行人にチラチラと視線を送りながら、ショーウインドウに映った自身の姿を見て安堵する。
カウンセリングでは、自らの性格が丸裸になった。ふと学生時代の自分を思い返す。
真面目なグループに属しているときは、可もなく不可もないキャラクター。ところが、ひと度、不良グループとつるむようになれば、素行が荒れる始末。良く言えば空気が読める人間。悪く言えば、自分を持っていない八方美人。
親にも苦労をかけた。真面目だった息子が、いきなり髪の毛を染めて帰ってきたり、急にタバコを吸いはじめたり、ついには暴力を振るうようになったり。そうかと思えば、恋人ができるや否や、オシャレばかり気にする軟派な男に变化(へんげ)したり。
「まぁ、普段の行いには充分に注意してください」
医師の忠告を脳内で何度も反芻(はんすう)した。
突如として人が姿を消す――ここ最近、奇怪な現象が続いている。世界中から関心を寄せられる謎の現象ではあるが、不思議なことに日本以外の国では、同様の事象が報告されることはなかった。
さまざまな調査によると、消滅していった人たちには共通の特徴があるらしい。どうやらそれは、性格に起因しているとのこと。ただ、確信的なトリガーはまだ解明されてはいない。
「おはよう」
男はいつもどおりオフィスに出社。自席についた途端、異変を察知した。
「もしかして……」
「そうなんです……」
声をかけた事務員の女が青ざめている。
「山下も消えてしまったのか?!」
「はい……」女が頷く。
報道によると、消えた人間たちは、この世から完全にいなくなってしまうわけじゃないらしい。声もすれば存在すらも感じられる。つまりは姿形が見えなくなってしまうというわけだ。
例に漏れず、山下も携帯電話への呼びかけには応答したそうだ。本人が言うには出社もしたらしいが、社の人間たちの中で、彼の姿を確認した者は誰ひとりいない。
山下の件を皮切りに、男の周囲でもポツポツと人が消えはじめた。気心の知れた者たちが次々と消えてしまうことに恐怖が募る。だが次第にそれは、職場の人員減少という現実問題へと発展。男の仕事量は目に見えて増えていった。
「なんで俺がヤツらの仕事まで負担しなきゃならないんだよ……」
気づけばそんな愚痴が口を突く。ストレスを発散するために酒の量も増えていった。その夜も男は場末の居酒屋で憂さ晴らしのヤケ酒をあおる。
「昇給もない。ボーナスもない。安っぽい待遇の会社で、誰が献身的に働いたりするもんか。バカヤロウ」
鷲掴みしたビールジョッキを、テーブルに叩きつけた。
据わった目で手元のスマートフォンを見ると、ある芸能人の不倫のニュースが目に飛び込んできた。国民的アイドルと結婚した俳優の下衆な不倫。やがて男の興味は記事に寄せられた読者からのコメントへ。
二度と芸能界に復帰するな。
最低人間。
この世から消えろ。
死ね。
荒れたコメントの文字を追っていると、ふしだらな俳優に対する怒りが自然とこみ上げてきた。即席の仲間意識を覚えた男は、酔った勢いでそこに参戦。自分でも信じられないほど過激な発言を投稿していった。
仲間との共闘を終え、カタルシスを味わった男は、会計前の酔い冷ましにトイレへと足を向ける。冷水で顔を洗おうと、洗面台の前に立った時だった。
「はぁ?!」
思わず声が漏れる。
鏡に映っているはずの男の姿が、そこにはなかった。
頬に触れてみる。感触はある。温度だって感じる。ただ、鏡の中には誰もいない。
気が動転した男はトイレのドアを蹴り開けると、店内に駆け込み叫び散らした。
発狂する声のほうへ客たちが一斉に目を向ける。すると、ひとりの酔客が言った。
「また誰か消えちまったか」
やがて悲痛な叫び声は店を飛び出すと、繁華街の雑多な人混みに消えていった。
「実験は成功ですなぁ」
「いやぁ、お見事!」
とある組織の会議室。白衣に身を包んだ博士を取り巻くように、男たちは喝采した。
「これで日本も救われる」
「いや、まだまだ消えて行ってもらわんと安心はできないぞ」
「日本国民の思想は実に危険だ。同調圧力に屈し、自分の意見を主張すらしない。集団心理に流され、流行りのものばかりを追う。目の前の常識を疑わず、今日という日が永遠に続くと信じている。まるで主人公を欠いた物語。エキストラだけで構成された舞台。大衆に流され染まる人間なんてこの国には不要だ」
リーダー格の男が熱弁する。
「そんな無個性、没個性な連中を、無色透明に染める薬品を散布するなんて、実に大それた実験をするものだ」
集まった男たちは、実験の発案者である組織のリーダーに感服の視線を送る。
「過熱した同調圧力の先に待っているのは、戦争だ」
「ごもっとも」
「先の第二次世界大戦でも、日本国民は一丸となった――いや、一丸となってしまった。それ故に、多くの犠牲を生んだ。二度とこの国を、悲しい血で染めてしまわぬよう、我々で手を尽くしていこうじゃないか。さぁ、博士! 薬品の散布量を最大値まで引き上げてくれ」
リーダーの男は博士の肩に手を置き、高らかに笑った。
博士は手にした小型装置に表示されたメーターを、限界いっぱいまで引き上げた。