求婚

 男は恋人を連れて医師のもとを訪ねた。
「ここのところ、どうも彼女の様子がおかしくて……」
 ただならぬ表情の男。身振り手振りを交えながら彼女の異変を訴える。が、具体的な症状がうまく説明できず、〝何かがおかしい〟と主張するばかり。見かねた医師の判断で、彼女は精密検査を受けることになった。
 検査が終わり、待合室で時間をつぶしていると、なぜか男だけが診察室に呼ばれた。
「レントゲンをご覧ください」
 医師は彼女の胸部が映し出されたレントゲン写真を指差した。
「これは……」
「見てのとおりです」
 なんとそこには、一輪の花が咲いていた。
「どうやら彼女は、大きな悩みを抱えているようですね。何か心当たりは?」
 どこか気まずそうにモジモジする男。大げさに考えるフリをしていた男は、観念したように吐露しはじめた。
 酷い浮気グセ。ギャンブルに明け暮れる浪費グセ。酒浸りの毎日。彼女と言い合いになれば、時に手を出してしまう暴力癖。
「なるほど。あなたが彼女の心に、悩みのタネを植えつけてしまっていた、ということですね」
「タネ?」
「ええ。花が咲くからには、どこかにタネがあるわけで――ただ、タネを植えたからといって、必ずしも花が咲くわけではない。あなたの愚行を受けて、彼女はどんな反応を見せていますか?」
「お恥ずかしい話ですが……夜な夜な、彼女はひとり、泣きじゃくっているようです」
「ほうら。彼女は毎日せっせと、タネに水をやっているわけだ」
 医師は呆れながらも、しばらく様子を見るようにと、男をなだめた。

 それからも男の悪癖は治まることなく、尚も彼女は涙し続けた。
「ん?」
 ある日、男は彼女を見て思う。近頃、なんだか色っぽくなったな、と。
 男の浮気が発覚するたび、嫉妬したり激昂したりを繰り返す。自分がもっと魅力的な女になれば、男が他の女に目移りせずに済む。そう思い、美に磨きをかけているのだろうと高をくくっていたが、どうもそういうわけではなさそうだ。メイクを変えたり服装の趣味を変えたりといった程度の話じゃない。妖艶なまでに色気を放つようになっていた。
 彼女の中で何か変化が起こったのかと気に病んだ男は、再び医師のもとを訪ねた。
「それはいけませんなぁ」
「はぁ……」
「心の中に咲いた花が、彼女に華をもたらせているのです」
「美しくなることがいけないと?」男は理解に苦しんでいる。
「悩みのタネから花を咲かせるには、涙という水が必要だったように、心の花を華に昇華させるためにも、きっかけが必要なのです」
 男はすべてを察知した。
「そのとおり。他の男への恋心ですよ」

 肩を落としながら病院から帰る道中、男は自分を見つめ直した。
 彼女はいつも自分のそばにいてくれる。自分のもとを離れるはずなんてない。そんな根拠のない自信から、これまで好き放題やってきた。何度泣かせてしまったか、とうてい数え切れない。
 今になって思う。自分にとって大切なものは何か? 彼女の存在だ。これまでの愚行を思えば、そんな理不尽な考えが通用しないことはわかっている。罪を償い続けなければならないことも。
 彼女が待つ同棲中の部屋に帰るなり、誠意を込めて謝ろうと決意した。
「ただいま」
 そんな男の決意も虚しく、彼女は唐突に男に告げた。
「他に好きな人がいるの。だから、別れて欲しい」
 医師の言っていたことが的中した。
 病院からの帰り道、男は自分が生まれ変わったと確信していた。もはや、昨日までの自分じゃない。今や、彼女のことを一途に思い、取り返しのつかない過ちを、侘びながら生きていくことを誓ったのだから。
 土下座し、男は涙ながらに謝罪した。フローリングの上に、涙がポタポタと落ちる。感情が崩壊し、大声で泣き叫ぶものだから、声も枯れる。それとは対照的に、彼女は無表情のまま男を見下ろしていた。
 すると突然、彼女のスマートフォンが着信を告げた。
「ごめんなさい。彼が迎えにきたの」
「彼?」
 察してくれよと言わんばかり、男の質問に答えることもなく、彼女はその場を立ち去ろうとした。男は土下座したまま、彼女の足にしがみつく。
「ほんとにごめん! 行かないでくれ! 俺を捨てないでくれ! 死ぬほど反省してる! もう寂しい思いもさせないし、キズつけることもしない! だから、この俺と結婚してくれ!!」
 男の悲痛な叫びに、彼女は言い放つ。
「もう、手遅れだよ」
 彼女は男が掴む手を振りほどき、跳ねるように玄関から出ていった。
 男の求婚から、花がひらくことはなかった。

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