「めずらしいじゃん、こんな時間に帰るなんて」
オフィスビルのエントランスを出たところで、聞き慣れた声。振り向くとそこには、陽気に手を振り、駆け寄ってくる風花(ふうか)の姿があった。
「あぁ。なんとなく仕事って気分じゃなくてな」と、俺。
「わっ、偶然ッ! わたしもなんだ。ねぇ、たまには一緒に帰ろうよ」
終電間際までオフィスにいることの多い毎日。不慣れな時間帯の街は、まるで普段とは違った場所みたいだ。道ゆく人たちの存在に安心しているのかもしれない。世界はちゃんとそこにあって、自分もちゃんとここにいる。
周りからも指摘されるほど歩くスピードの速い俺だが、今日は隣を歩く風花に歩調をあわせる。
「俊介(しゅんすけ)がいま担当してるのって、地元の未解決事件だよね?」
「あぁ」
たわいもない会話を交わしていたふたり。周囲に誰もいなくなったタイミングを見計らったように、風花が話題を変えた。
未解決事件を秘密裏に解決へと導く。それが俺たちの仕事。国家警察とは違った役割を担う極秘組織だ。
風花が口にした地元という言葉。俺と風花の仲は幼い頃からつづく。いわゆる幼馴染というやつだ。ふたりで示し合わせたわけではないが、偶然、同じ職に就いた。
風花からの問いに乾いた相槌を返しただけの俺。その様子に何かを悟ったのか、彼女はそれ以上、話題を広げようとはしなかった。
「もうすぐ解決できそうなんだ」
さっきまでとは打って変わり、人の気配がまばらになった街。
風花の提案で――居酒屋で一杯やることになった。軽く呑むだけのはずが、風花のおしゃべりがやむことはなく、時計の針はいつもの退社と変わらない時刻を指していた。
特殊な職務の性質上、周囲に人がいる状況で仕事の話をしてはならない。居酒屋なんてもってのほかだ。誰が聞き耳を立てているかわかったもんじゃない。
軽い酔いも手伝ってか、店を出てふたりきりになった瞬間、さっきの話題に触れてみた。
――触れてみた? 話題を振られたから? もしかすると、ほんとは誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
「あの事件、ほんとに解決するの?」
「あぁ」
「さすが俊介だね……。ポンコツなわたしとはデキがちがうよ」
沈んだ声色の風花。目をやると、さっきまでのお調子者とはまるで別人のように、その表情に影を落としている。
改札を抜けたところでふたりは歩を止めた。風花が立ち止まったからだ。
「俊介に伝えたいことがあって」
「なんだよ、急に」
「わたしね、昔からずっと……俊介のことが――」
駅構内に終電の到着を知らせるアナウンス。駅員たちも散り散りに慌ただしい声をあげている。
「あっ! 悪りぃ! もう電車が来るわ。またゆっくり話聞かせてよ」
風花とは別の路線で帰る俺は、立ち止まったままの彼女をそこに置いて走りだした。
風花が伝えようとしたこと。伝えそびれたたこと。そして、彼女が望むこと。その想像はついた。だからこそ、彼女が言い終える前に立ち去った。
八年前、俺たちの地元で、ある事件が起きた。それは時を経た今も解決されぬまま、まだ糸口さえつかめていない。
その事件が今まさに解決されようとしている。俺の手で――いや、犯人のその手で事件が解決されようとしている。
どんな事情があれ、人を殺すことは悪だ。たとえそこに同情を得られる情状の余地があったとしても、悪の権化として生きていくべきだ。それはわかっている。罪を犯した者が、それを裁く側に立つなんて皮肉な話かもしれない。ただ、奇跡とも呼べるこんな機会がやってこなければ、犯人が――俺が自首することはなかっただろう。
そう。頭の中では理解している。いやというほど倫理や道徳とも向き合った。ただ、あの事件が解決されれば、風花とは二度と会えない。それだけが心残りだ。
ちゃんと電車に乗れただろうか。車窓の向こうに広がる寝静まった街のシルエットを眺めながら、置き去りにした風花のことを思った。
「おーい、俊介ぇ。ちょっとこっちこーい」
上司である田代さんに呼ばれ、会議室へと向かう。
「例の事件、進捗はどうだ?」
「……無事、解決できそうです。おそらく今夜にでも」
「そうかぁ。ただ、その件なんだがなぁ、本日付けで担当を変えることになった」
「は? まだ担当期間は三ヶ月ほど残っていますが」
「まぁ、つべこべ言うな。もう決定したことだ。身を引いてくれ」
自身が担当しない事件に手を出すことは、越権行為にあたるため禁止されている。
「なんでまた、急に⋯⋯」
納得のいかない部下の様子を見かねてか、田代さんが俺の肩を軽くたたいた。
「異例の采配だってことはわかってるさ。ただ、お前のことを想う風花の気持ちを考えてみろ。自らの手で未来に蓋をする必要はない」
田代さんはなにをどこまで知っているのだろう。風花が身の上話をしたとは考えにくいが。
不意打ちの展開に揺さぶられる感情。そう簡単に事態を飲み込めるはずもなく、俺は黙って突っ立っていた。
ただ、今にも泣き出しそうな昨夜の風花の沈痛さを思い返すと、少し報われた気がした。
「ありがとうございます」
もはや深くは探るまい。俺は混濁した感情から顔をもたげた言葉をそのまま伝えた。
罪を告白しすべてを終わらせる覚悟は、決して生ぬるいものじゃなかった。それがあろうことか一瞬にして霧散した。そうと決まったからには、潔く腹をくくるしかない。俺は生涯、罪を背負って生きていく。世のため人のため、そして風花との未来のために。まっすぐ生きていこう。
「ありがとうございました!」
即席ではあるが、気持ちの整理はついた。そして俺は再び田代さんに礼を言う。さっきよりも力強い声色で。
会議室をあとにしようとしたときだった。背後に田代さんが近づく気配。振り向こうとした俺の耳元に彼はささやいた。
「お前らの運命は俺の手の中にあることを忘れるなよ。俺の動きひとつで、その運命をねじ曲げることだってできるんだぞ」
「なにが言いたいんです?」
「お前は俺に金を、風花は俺に体を、自由にさせろ。しあわせに生きていきたかったらな」
立ち尽くす俺をよそに会議室を出た田代の背中を睨みつける。
そして未来を思う。
近い将来、新しい未解決事件がひとつ増えるだろうことを。