賑わう繁華街の一角。チェーン店の居酒屋のカウンター席。男はハイボールを流し込むと、友人に切り出した。
「この歳になって、いきなり兄弟ができるなんてねぇ」
「はっ? 兄弟?」
「そうさ。予想もしないことが起こるもんだよ」
理解に苦しむといった表情のまま、友人はエイヒレを指でつまんだ。
「ご両親が離婚でもしたのかい? それでスピード再婚して兄弟が?」
「まさか。親父もおふくろも、そんなバイタリティ溢れる年齢じゃないさ」
「だとしたら、どうして?」
「それがさぁ、先週末の昼下がりに……」
M市の住宅街に隠れ家的なイタリアンレストランがあるって、得意先の広報の人間から聞いたもんでさぁ。たまにはカミさんにいい思いでもさせてやろうかなって。それで先週の土曜に車を出して、下見に行ったのよ。
広報の奴が「すぐに見つかりますよ」なんて言ってたもんだからさぁ。簡単に考えてたのが甘かった。やたらと細い路地が入り組んだ住宅街で、すっかり道に迷っちゃってねぇ。カーナビを見ても、毛細血管みたいに広がった細い道ばかりで分かりゃしない。
「ん? ちょっと待てよ! 急に兄弟ができたって話とイタリアンレストランって、どういう関係が?」
友人は売れっ子漫才師がよくやる仕草を真似て、言葉を挟んできた。
まぁ、そう焦るなよ。最後まで話を聞いてくれたまえ。友人の顔を指差し、男はそれを制した。
車体を擦りそうになりながらも、なんとか曲がり角で事なきを得たり、曲がりきれないときにはバックで元の道に戻ったり。ほんとに苦労したよ。それで、少し見通しのいい道に出られたもんだから安心しちゃったんだろうな。一気にアクセルを踏み込んじゃったんだ。次の瞬間、ドン!
「ドン? まさか……」
そのまさかさ。路地から飛び出してきた通行人を、轢(ひ)いちゃったんだよ。
男はそこまで言ってひと息つくと、グラスの底に残ったわずかばかりのハイボールを飲み干した。
確かに人を轢いちゃったはずだ。でも、もしかしたら何かの間違いかもしれない。見間違いの可能性もある。いや、どう考えてもあれは人だった。重い衝撃も感じた。今すぐに飛び出して介抱すべきだ。待てよ、このまま立ち去ることもできるのでは? 目撃者もいそうにない。ダメだ、その先に待っているのはバッドエンドに決まってる。どうしよう。どうしよう?
運転席に座ったまましばらく問答したのち、俺は意を決し、車から飛び出した。
「当然だよ……」安心した様子の友人。
で、状況を伺うために、相手のもとに駆け寄ったのさ。ところが――そこには誰もいない。本当さ。信じてくれよ。周囲をどれだけ見回してみても、人っ子一人いないんだよ。まるで狐につままれた気分だったね。
冷静になって考えようと、自分の車に戻ろうとしたときだった。背後から右肩を強く掴まれたんだ。状況が状況だけに、俺は悲鳴を上げたよ。で、反射的に背後を振り返った。するとそこには――
「轢いちまった人が立っていたとか?」
怪談話ならそうくるだろう。でも、違ったんだ。そこには絵に書いたような悪人ヅラの男が三人。のそりと立ったまま、俺を取り囲んでいた。
咄嗟に車に逃げ込もうとした俺の体を、奴らは強引に引っ張り出し、ひょいっと担ぎ上げやがった。
拉致される!
絶望を感じたね。どれだけもがいてみても、屈強な連中はビクともしない。
そして俺は担がれたまま、奴らの車の後部座席に放り込まれたんだ。
あの男を葬り去ってくれてありがとう。
俺の耳に、そんな言葉が飛び込んできた。声の主に目をやると、異様なオーラを放つ強面の男が隣に座っていた。俺を担いできた連中とは比べ物にならないくらいの迫力を持った男さ。
その男はきっと、組織のトップなんだろう。他の連中の気遣いからそう感じたよ。まぁ、親分ってところだな。
親分の話を整理すると、その組織はある別組織の親玉の命を狙っていた。だが、標的は行方をくらませ、逃げ回っていたらしい。ところが、ある情報筋から、親玉がこの住宅街に潜んでいることを掴んだ。
そこに現れたのがこの俺さ。呑気にイタリアンレストランの所在を下見にきた俺。そんな俺が大役を務めることになる。
「お前が轢いちまったのが――」
そう。この組織が狙うターゲットだった。
俺が事故の状況を確認したときには、親玉の姿はそこにはなかった。きっと、別の車で駆けつけた下っ端が連れ去ったんだろう。その手際の良さには感服するね。
親分はドスのきいた声で、何度も俺に感謝を述べてきたよ。お前さんもどこかの組織に属しているのか? って尋ねられたけど、ご存知のとおりこの俺は、しがない商社の営業マンさ。
しばらくして親分は、思い出したように下っ端の連中に叫んだ。
おい! さっさと用意しろ!
すると、助手席の男が朱色の盃をふたつ差し出してきた。促されるままそれを受け取ると、俊敏な動きで男が酒を注ぐ。
そして親分は言ったんだ。
新しくできた兄弟の絆に乾杯。
「いやぁ、興味深い話が聞けたもんだ」
興奮して酒が進んだのか、居酒屋を出た友人はすっかり千鳥足。軽い鼻歌を交えながら、二人は繁華街を駅へと向かった。
「生きてりゃいろいろあるもんだなぁ」と友人。「できれば平穏に生きていきたいもんだがな」と男。
歩道の段差につまずいた友人が、よろけた拍子に通行人とぶつかった。
「おい! 痛ぇな! どこ見て歩いてやがるんだ、このボケ!」
ド派手な服に身を包んだその輩(やから)は、友人の胸倉をつかんできた。
友人が激しく抵抗すると、輩は友人の顔面を思いっきり殴りつけた。
地面にふっとばされた友人。怯えた声で何度も連呼する。
「警察だ、警察っ! 早く警察を呼んでくれ!」
突っ伏して身悶える友人を見下ろしながら、男は涼しい表情のまま、ポケットからスマートフォンを取り出した。
「もしもし――」
「上等だ! 警察でも何でも呼べや!」
輩が吠える。
耳にあてたスマートフォンを少し離し、男は輩に言い放った。
「警察なんて呼ばないよ」
「じゃあ、誰を呼ぶって言うんだ?」
「最近できた兄弟さ」