伝説の万引きGメン

 彼女の名は橋田美枝子。通称、伝説の万引きGメン。
 職業柄、一般の人たちにその顔は知られていない。広く顔が知れ渡ってしまうと、任務が遂行できないからだ。だが、スーパーマーケットなど小売店の従事者で、彼女の存在を知らない者はいない。
「おはようございます!」
 ここはN市のスーパーマーケット、はなまる館。特売品の陳列や商品の前出しなど、店員たちが朝の開店準備に追われている。そんな中、バックヤードに姿を見せた橋田は、朝の眠気を吹き飛ばすように、大きな挨拶をしてみせた。
「おはようございます、橋田さん! 伝説の万引きGメンに来ていただき光栄です。今日は一日、プロの仕事ぶりを学ばせてもらいます」
 はなまる館の店長が橋田にすり寄る。
「当店では、万引きによる被害額が年間で300万円近く、一日にすると8千円ほどやられています。なぜそれほどに狙われるのか……ともかく、我々の悩みの種でして」
「安心なさってください。わたしが来たからには、万引きの発生をゼロに抑えてみせますので!」
「さすがは生きる伝説、頼もしい限りだ!」
「では早速、店内のレイアウトをチェックしてきますね」
 そう言うと橋田は、スイングドアを押し開け店内へ。威厳をまとった彼女の背中。それを見守る従業員たちの表情には、一様に安堵の色が浮かんだ。

「橋田さん、おつかれさまです!」
「あっ、店長さん、おつかれさまです」
「本日の仕事ぶり、我々もカメラで拝見させていただきましたよ。大変勉強になりました!」
 閉店時刻を告げるBGMが店内に流れる。
 すべての客が退店したことをその目で確かめた橋田がバックヤードへと戻ってきた。朝と同じように、橋田にすり寄る店長。
「あれだけ鉄壁なディフェンスをされちゃ、相手もタジタジでしょうね」
「万引き犯に隙を与えないことが大前提ですので」
 万引きGメンとしての橋田のテクニックは凄まじかった。同業者でさえ、その勇姿を目にする機会を切望するほどだ。
 一日を通して店内に滞在するため、時間を変えて複数回来店する万引き犯に怪しまれないよう、無数の変装グッズを操る。従業員でさえ橋田を別人と見紛(みまが)うほど、その姿を変化させる。
 あやしい動きを見せる客は、徹底的にマーク。もちろん、むやみに近づいてしまうと不審がられる。ちょうど悪事に手を染めようと商品に手を伸ばすタイミングを見計らい、そばににじり寄っていく。すると万引き犯はよからぬ気配を感じ、その手を引っ込める。
 橋田は、商品を隠し持ったままレジを通さずに店を出た万引き犯を捕まえるタイプのGメンではなく、万引きのチャンスを奪い、犯行を未然に防ぐタイプのGメン。
 決定的なタイミングで犯行を阻止するため、万引き犯たちに与える衝撃は計り知れない。今後、万引きを企み、誘惑の手を商品に伸ばすことに躊躇するほど。まさに伝説の名にふさわしいテクニックだ。
「もちろん、今日一日ですべての万引き犯と対峙できたわけじゃありません。はなまる館から万引きを根絶できるその日まで、お仕事を継続させていただきます」
「ぜひ、お願いします! この店から万引きの被害がなくなることを願って」
「少なくとも今日の営業中は、万引きの件数はゼロだったでしょう! ではこの調子で明日も目を光らせていただきますね」
 誇らしげな表情で店をあとにする橋田。仕事を終えてもなお勇ましいその後ろ姿を、店長はじめ閉店作業に追われる従業員たちが笑顔で見送った。

 帰路に着く橋田の表情は、いかにも満足そう。
「今日もいい仕事ができた」小さく呟く。
 橋田は心の中でこう思う。
――実際、万引きの発生をゼロにすることはできない。今日だってそう。現に防げなかった盗犯があった。わたしの力を持ってしても絶対に捕まえられない万引き犯がいるのだから。
「これだから、万引きGメンはやめられない」
 そう言うと、橋田はポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。
 それは、安価なスナック菓子だった。
――わたしはわたしを捕まえられない。
 伝説のGメン、いや、伝説の万引き犯である橋田美枝子は、スナックの封を開けると、指先でそれをつまみ、口の中に放り込んだ。

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