「いやぁ、それにしてもめでたいなぁ」
島崎は社員食堂で同僚の尾原の肩を叩いた。
「期待はしていたけど、まさか自分の息子がねぇ」
「オリンピック出場決定、おめでとう!」
「ありがとう」
尾原は照れた素振りで、頭をポリポリと掻いた。
「陸上の男子100メートルなんて、オリンンピックの花形種目だからなぁ。君の息子なら、楽勝で金メダルだろ?」
「まぁ、他の選手よりも恵まれてるからね」
注文した日替わり定食をカウンターで受け取り、二人はいつもの席についた。
この世界は年齢、性別、人種、宗教、趣味嗜好など、さまざまな属性の人で構成されている。人権尊重や雇用機会の均等などを目的に、ダイバーシティが広く叫ばれるようになって久しい。
多種多様な考え方や個性が受容されるようになり、やがてそれはダイバーシティ&インクルージョンと呼ばれるようになった。そして、人権や雇用の問題を超越し、多種多様な結婚のあり方にまで波及した。
「それもこれも、寛容な世界になったおかげだよ」尾原は言う。
「ひと昔前じゃ、考えられないからなぁ」
「多様性を受け入れるだけで、世の中がこれほどまでに変わるなんてねぇ」
「人間もバラエティ豊かになったもんだよ」
島崎は箸先でつまんだアジの開きの身をぼんやり眺めた。
「それはそうと、君の子供は元気かい?」
自分の息子の話題ばかりで気を使ったのか、尾原がふいに話を変えた。島崎の家庭にも3年前、めでたく子供が誕生した。
「まぁ、元気っちゃ元気だけど――」
「なんだか歯切れが悪いじゃないか。何かあったのかい?」
「近ごろ、息子の目のまわりが黒ずんできてねぇ」
「うまく寝つけないのかな? まだ幼いのに、目にクマなんて」
「う~ん。ぐっすり眠ってるんだけどなぁ」
「それは心配だな」
「まぁ、予想はしてたんだけどね」
「予想?」
話の続きを気にする尾原を遮るように、他の同僚たちが食堂になだれ込んできた。尾原を取り囲み、口々に彼の息子のオリンピック出場を祝福する。
目立つのが好きじゃないタイプの尾原は、恐縮しながらペコペコと何度も頭を下げた。
その後、同僚たちはさらに盛り上がり、祝福の続きは終業後の居酒屋で、ということになった。何かあれば酒の席をもうけるのが好きな同僚たち。一杯やらずにはいられない性分(たち)らしい。
「尾原ちゃん、ほんと、おめでとう! そして、尾原の息子の金メダルを祝して、乾杯!」
盛り上げ役の村本がビールジョッキを片手に音頭を取る。それぞれの手に握られたジョッキがぶつかり、軽快な音をたてた。それぞれの口に運ばれたジョッキは、瞬く間に空っぽになった。
「尾原を見てると、俺も早く結婚したくなるよ」
村本が二杯目のビールを注文しながら尾原に声をかけた。「奥さんとはどこで出会ったんだい?」
「俺って競馬が趣味だろ。だから週末にはいつも競馬場に足を運んでてさぁ。そこで偶然出会ったんだよ。まぁ、ひと目惚れってやつかな」
「うらやましい限りだなぁ」
「多様性のおかげだよ」
「確かに、尾原ってモテるタイプじゃなかったもんなぁ。あっ、失礼、悪い意味じゃないぜ」
二杯目のビールが運ばれてこないことに気づいた村本は、大声を張り上げ店員を呼び止めた。
隙きを見て、尾原は島崎に話しかけた。
「あくまで息子の手柄だからなぁ。俺は別にたいしたことしてないし」
「まぁ、君の結婚がすべての始まりだろ? 今の奥さんを選んだことが、君の偉業だよ」
「そう言われれば、そうか」
酒に弱い尾原は、既に赤くなった頬で照れ笑いした。
「そう言えば――君の子供の症状、心配だな」
「あぁ、昼間の話か。別に心配ないよ。予想してたことだから」
「症状なんて予想できるものなのかい?」
「簡単なことさ。君の息子は誰よりも走るのが早い。そりゃ当然のことさ。あらゆる多様性が認められたことで、君は今の奥さん――つまりは、牝馬(ひんば)と結婚し、子供を授かったわけじゃないか」
「まぁな。でも、それと君の息子の症状――目のクマとどんな関係が?」
島崎はジョッキに残ったビールを一気に飲み干した。
「あれはクマじゃないんだよ。君も俺の結婚式に来てくれただろ?」
「そうか! 君の奥さんは、パンダだったな」