さぁ、次の季節は!

 残りの荷物をバックパックに詰め込み、がらんとした部屋を眺める。たった数ヶ月とはいえ、どれもこれもが忘れがたい記憶。ここで過ごした日々に思いを巡らせ、感傷に浸る。
「さて」
 後ろ手に玄関ドアを閉めると、夏は、高くなりはじめた空と、そこに浮かぶ真っ白な雲を見上げた。

 季節をもたらす職務を持つ者たちは、その移ろいに合わせ、各国を転々とする。役目を終えると、次の時季を担う者にバトンタッチ。また次の国へと向かい、新たな季節の訪れを告げる。
 晩夏の哀愁を踏みしめるように歩く夏。疲労のたまった肩を揉みながら思う。近頃の夏は、体にくる。以前と比べ、気温の調整が難しくなった。そのせいで人々に酷暑を強いることが増え、何度も歯がゆい思いをした。それだけじゃない。例年、勢力を増す台風や豪雨たち。ヤツらとの戦いも熾烈を極める。恨みでもあるのかと、嘆きたくなるほどの激闘だ。そりゃ、体も痛む。
「夏が、夏バテしてりゃ、世話ないな」夏は小さく呟いた。
 あと少し行けば次の国。意気込んだ夏の背後から何やら大勢の声が迫ってくる。思わず夏は振り返った。
「夏はまだまだ終わらないぜ!」
「まだまだ海で遊びたい! せっかく買った水着も、もっと着たいよ!」
「夏フェスの思い出が忘れられない! みんなともっと音楽で盛り上がりたい!」
「今年は家族とバーベキューができてない! 夏に終わられると困っちゃうんだよ!」
「もっと長い夏休みがいい!」
「ビアガーデンでたらふくビールを――」
「家族旅行が――」
「海が! 山が――」
「彼女とのデートを――」
「夏が――」
「夏は――」
「――」
 この国の人々は、よほど夏が好きらしい。そして、夏の終わりをひどく嘆いている。そんな彼ら彼女らに手を振り、別れを惜しんでみせた。しかし、彼ら彼女らはそれを許そうとはしなかった。
「夏を終わらせてたまるか! おい、みんな、俺たちの夏を逃がすな! とっ捕まえろ!」
 消化不良の欲望を抱えた群衆は暴徒と化し、狂気の声を上げながら夏を取り囲んだ。押し倒され、踏まれ、蹴られ、舞う砂埃に息もできない。季節を手中に収めた群衆は、勝ち誇ったように猛り狂っている。
 その時だった。わずかに覗いた視界の先に、怯えて立つ秋の姿。
「まずい……」
 夏の不安は的中した。群衆のうちの何人かが秋の存在に気づくと、たちまち咆哮をあげた。
「おい! あっちに秋がいるぞ! 華奢な女じゃねぇか。みんな、やっちまおう!」
 秋なんて季節は要らない。退屈なだけだ。わずかな期間しかない秋に何の意味がある。秋がなければ、その分、もっと夏を楽しめるのに――連中は口々に秋への不満を吐き散らし、あろうことか秋を打ちのめしてしまった。ぐったりと地面に倒れ込む秋。羽交い締めにされた夏は、秋を救ってあげられない無力さに首を垂れた。
「これは、大変なことになるぞ……」
 何かを予感した夏は、怯えるように体を震わせると、やがて、覚悟したようにその目を閉じた。

「おい、みんな! あれ、冬じゃね?」
 群衆が指差す先には、純白のオーラに包まれた美少女が立っていた。何やら楽しげに微笑んでいる。
「あんな寒い季節、要らないよな?」
「要らない、要らない!」
「夏と比べて、冬は無駄に長いんだよ」
「どうする? 冬、殺しちゃう?」
 秋を消し去ったことで活気づいた連中は、勢いのまま、冬に向かって突進した。
 地面を揺らしながら冬へと迫る群衆。いざ冬を襲おうとした連中は、眼前を覆う違和感に、ピタリとその足を止めた。
「ねぇ、パパ」
「どうしたんだい?」
「こいつらバカだよね。美しい季節に恵まれた国に生きてるくせに、自分たちでそれを壊そうとしてる。地球を自分たちのものと勘違いしてるんだろうな。愚かだね。もう、そろそろいいんじゃない?」
「そうだな。もう一度、はじめからやり直してもらおう。今度こそは、お利口さんになってくれるといいね」
 ポカンと口を開ける群衆に向かって冬は手を振り、言った。
「さぁ、次の季節は――氷河期です!」
 冬の背後に立つ巨人は、人類の歴史を一息に飲み込んでしまうほど、大きく息を吸い込むと、ありえんばかりの勢いで、凍てつく息を吐き出した。

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