ある洗面室で見かけた髪の毛についての考察。

人様の頭部から抜け落ちる頭髪、つまりは髪の毛が、ひらひらと舞い落ちる様を見かけたことが、一度たりともないように、夢に心臓をバクバクさせながら前へ前へと歩く人の姿を、この街で見かけたことがない。
だからまるで軍隊の行進のような足取りで、朝の貴重な時間を、重苦しい響きを轟かせて歩くことができるんだ、人間。

純喫茶の珈琲が、香りも含めて、とても味わい深く感じることができて、今どきのカフェテラスで召し上がる珈琲が、大量生産の味に、辟易してしまうのはきっと、形ばかりを追い求めて、もっともっともっと、寂れた人間の泥臭いものを、見て見ぬ振りするような、嘘つきばかりが、店内に徘徊しているから、胡散臭くて、そりゃ珈琲の味も、オイル臭くなって、飲むというよりも、無理矢理に注いでいるような気がして、居心地も悪く、気づけば逃げ出したい気持ちに心が占拠されて、一秒でも早く、この街自体から逃亡したくもなる。

人と人とがこんなにも近くにいるのに、心と心がこんなにも離れて感じるのは、人間というものが、記号のように、ただただ存在するだけの存在になり切ってしまっているからで、本来であれば、記号なんかでなくって、もっと言葉的な何か、もっと感情的な何か、もっと熱情的な何か、もっと厭らしさを剥き出した生身の気持ち、素直で、情けなくて、ついつい愛でてしまいたくなるような存在でなければならないのに、まるで記号的で、記号で。

「ほら、薄暗い便所で、気取った間接照明の灯りに照らされた、鏡に映った自分の顔をよく見てごらんよ、どこかお化けのようで、どこか怨念めいていて、心の表情が、顔面の表情を通して漏れ出してしまってるみたいやろ?」
「こんな顔?」
「あんた、それは本物のお化けやで」
「じゃあこんな顔?」
「そうそう、たいそう、醜い」

醜い物が醜いと決め付けている人間様の心が、そもそも、醜いわ。

暮らしとは、どういうものかと考えてみれば、それはまるで、ある洗面室のクッションフロアーの上に落ちたる、一本の髪の毛のようなもので、ふと見かければそれに気づくけれども、ふと見かけなければ、生涯気づかないで過ごしてしまうようなもの。
風が吹かない場所にあるならば、この髪の毛は、果てしなくそこに存在して、誰かに見つけられようが、見つけられまいが、ただただそこに居て、ただただ置かれたままの形状でそこに居て、どうすることもできないまま、そこに居る。

生きるとか死ぬとか、考えることもあるだろうけれど、まずは、暮らし。暮らし。暮らし。
この線路が、どこまで続くだろうなんて、駅のホームから、レールを見下ろして考えるもんじゃない、まずは、暮らし。暮らし。暮らし。
雲ひとつない空が壮大だなんて、たまたま見つけたビルの隙間を縫って見上げてる場合じゃなくて、まずは、暮らし。暮らし。暮らし。

「最近の若い奴らって、みんな同じ顔に見えちゃうよ」
「果たしてそうだろうか?」
「年のせいかな?マジでイヤんなっちゃうよ」
「果たしてそうなんだろうか?」
「物忘れも酷くなっちゃってるしね、近ごろ」
「少なくともこの街の朝や昼や夜に蠢く人間たちは、男も女も誰も彼もが、同じような顔をしているよ、歩幅も同じ、肩幅も同じ、軽薄な薄ら笑いも同じ、中身のない空虚な会話も同じ、誰も彼もが、同じような顔をしているよ」

でも、誰も彼もが同じでないもの、それこそが暮らしであって、同じような顔面をしたような人間たちにも、それぞれの暮らしがあって、その暮らしは、まるで、ある洗面室で見かけた、一本の髪の毛のように、そこに置かれてある。

そうだ、あいつもこいつも、どいつもそいつも、みんなみんな、あなたも君も僕も、暮らしの中に、内包されて、置かれているんだ。
そうだ、生きるとか死ぬとかって、どういうことだろうか。
この線路は、果てしなく、どこまで続いているのだろうか。
空の広さや青さや壮大さは、どれほど手を伸ばせば届くのだろうか。

中間の季節にはね、四季の中に織り交ぜられて、目立たない、中間の季節にはね、中間の季節だけが持つ、何とも形容し難い匂いのする風が吹くもんだから、どうにもセンチメンタルになる。

鼻腔で人間の愚かな風情を嗅ぐ。
たちまち僕は、まだ列車の到着すらも予感させないホームを目指して、とりあえず今できること、走るという行為をやってみることにした。素晴らしい世界と、その暮らしを夢見ながら。

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